Microsoft が Excel の Copilot に Skills を追加した。SKILL.md で財務・経理の反復業務を再現実行できる。Excel が事実上の会計システムである日本にこれは強烈に刺さる。だが本質は便利さではない。Excel が AI の実行環境になり、Skill が SAP・会計システムへの入口になること。そして操作主体が人から AI に移り、誰がどの権限で動いたのかが見えなくなること。共通アカウント化は結果にすぎない。見えないものは統制できない。可視化が先、統制はその後だ。
これは便利だ。
Microsoft が Excel の Copilot に「Skills」を追加した。DCF モデルの作成、四半期決算、月次レポート更新、予算対実績の差異分析。こうした財務・経理の繰り返し作業を、SKILL.md という手順書として定義し、Copilot に再現実行させられる。2026 年 6 月 25 日の公式ブログ "Copilot in Excel: Built for the era of Frontier Finance" で、finance skills、custom skills、そして OneDrive に SKILL.md を保存する仕組みが明記されている。
日本の経理にとって、これはかなり大きい。
なぜなら、日本の現場では Excel は単なる表計算ソフトではないからだ。実態としては、Excel が会計システムになっている会社が多い。
会計システムからデータを落とす。Excel で加工する。Excel でチェックする。Excel で差異を説明する。最後に、その結果を本来の会計システムに入力する。
極端に言えば、「Excel が実務上の会計システムで、それを正式な会計システムにコピーしている」と言っても過言ではない。
だから、Excel に AI の Skill が入る意味は大きい。毎月同じ形でレポートを更新する。勘定科目ごとの増減を説明する。予算と実績の差異を見つける。部署別・プロジェクト別に数字を並べ直す。これまで人が覚えていた手順を、Skill として残せる。属人化していた Excel 業務を、再現可能な手順にできる。
ここまでは、とても良い話だ。
答えは「思想としてはできる。ただし、そのまま使えるわけではない」だ。
Microsoft Copilot in Excel の Skill は、Excel、OneDrive、Microsoft 365、Copilot が一体になっているから成立する。SKILL.md を置くと、Excel の Copilot がそれを読み、Excel 上の作業に使える。
一方、Azure OpenAI や OpenAI API で同じことをするなら、自分で設計しなければならない。手順書をどこに置くのか、いつ読み込むのか、どのデータにアクセスさせるのか、Excel・SAP・Power BI・DB とどう接続するのか、実行前に人間承認を入れるのか、結果をどこに記録するのか。ここを全部作る必要がある。
Claude や Codex でも Skill 的な仕組みは広がっている。AI に「毎回同じ業務手順を教える」のではなく、「手順そのものを部品化して、必要なときに AI が呼び出す」という流れは、今後の標準になっていく可能性が高い。
たとえば SAP から売掛金、買掛金、原価、WBS、プロジェクト、利益センターのデータをダウンロードする。Excel で加工する。差異を確認する。必要に応じて SAP に入力する。この一連の作業は、現場ではよくある。
しかし、実際にやると面倒なことが多い。
SAP からダウンロードした時点で、伝票のステータスが変わっているかもしれない。未消込だと思っていたものが、すでに消込済みになっているかもしれない。入力しようとした時点で、対象の WBS が閉じているかもしれない。一覧を落としただけでは判断できず、直前にリアルタイムで確認しないと危ないケースがある。
これは、使っていないとわからない不便だ。Excel 上で綺麗に集計できても、その数字が今も SAP 側で有効とは限らない。だから、AI が Excel を操作できるようになるだけでは足りない。設計が重要になる。
ダウンロードは比較的安全に見える。しかし、どのデータを取れるかは権限そのものだ。財務データ、人件費、利益率、取引先別の条件、プロジェクト別の採算。Excel に落とせるということは、AI が読めるということでもある。
さらに危ないのはアップロードだ。SAP に登録する。会計伝票を作る。原価率を変更する。WBS に紐づける。支払条件を変える。消込処理を走らせる。
ここまで AI に触らせるなら、Skill は単なる便利な手順書ではない。業務システムを動かす操作権限になる。Skill ひとつで業務を動かせてしまう。
人間が SAP にログインして操作するとき、操作主体は人だ。誰が、どの会社コードで、どの伝票を、どの範囲まで動かしたかが見える。見えるから、権限を分けられる。見えるから、承認できる。見えるから、監査できる。
Excel×AI になると、ここが変わる。
人は Excel を開き、Skill を走らせる。しかし、裏で SAP を叩くのは AI だ。このとき、AI がどの権限で入り、どの操作を実行したのかが、人から見えにくくなる。
問題は「共通アカウントにしてしまうこと」ではない。それは結果にすぎない。
本当の問題は、権限主体が見えなくなることだ。
誰が、どの Skill を使い、どのバージョンの手順で、どの権限として SAP に何を書いたのか。これが観測できないまま、AI 経由の操作だけが増えていく。
見えないものは統制できない。
そして、見えない権限は、結果としてひとつに均されていく。誰も「共通アカウントにしよう」と決めていなくても、利用者から見えない場所で、同じ権限、同じ経路、同じ実行主体に収斂していく。それが危ない。
そしてもう一つ。Skill は自然言語で書かれる。プログラムのように見えないから、レビューが甘くなる。だが実態は AI への操作指示だ。「この条件なら登録する」「エラーが出たら別の方法を試す」――こうした一文が業務ロジックそのものになる。出力は一見正常に見えても、相手勘定が一つすり替わっているだけで、誤った仕訳が静かに本番へ流れる。構文エラーは出ない。だから気づきにくい。
2026 年 5 月の論文 "Under the Hood of SKILL.md: Semantic Supply-chain Attacks on AI Agent Skill Registry"(Shoumik Saha, Kazem Faghih, Soheil Feizi)は、SKILL.md を単なる説明書ではなく、AI エージェントがどのスキルを発見し、選び、信頼し、読み込むかに影響する operational text だと指摘している。手順書は、もはや受動的なドキュメントではない。
だから守りの第一歩は、AI を止めることではない。権限を分けることですら、まだ一歩目ではない。
まず、権限主体を可視化することだ。
どのユーザーが、どの Skill を、どのバージョンで実行したのか。その Skill は、どのデータを読み、どの API を呼び、SAP に何を書いたのか。SAP 側には、誰の権限として記録されたのか。人間の承認は、どの時点で入ったのか。
少なくとも、次は残さなければならない。
| 記録すべき項目 | 内容 |
|---|---|
| userID | 実行した人間の主体 |
| skillID / version | 使った Skill とそのバージョン |
| 実行時刻 | いつ走ったか |
| 参照データ | 何を読んだか |
| 書き込み先 | どこに・何を書いたか |
| 承認者 | 誰がいつ承認したか |
可視化が先。統制はその後だ。見えなければ、権限を分けることもできない。見えなければ、承認も監査もできない。見えなければ、事故が起きたあとに原因を追えない。
これまでのセキュリティは、サーバ、会計システム、DB、API の側で考えていた。これからは、そこに Excel、OneDrive、Skill、Copilot、AI エージェントが加わる。守る場所が増える。権限の入口が増える。操作の主体が曖昧になる。
そして、権限主体の統制をいちばん厳格にやってきたのが SAP の世界だ。会社コード、伝票タイプ、ロール、承認、変更履歴でガチガチに縛る。そこに Excel×AI が横から入ると、画面上は便利でも、裏側で「誰が操作したのか」ではなく「AI が処理した」になりかねない。
Excel に AI が入る。Skill で業務手順を覚えさせられる。これは間違いなく便利だ。だが本当に重要なのは「便利になった」ではない。Excel が AI の実行環境になり、Skill が業務手順になり、その Skill が会計システムや SAP への入口になることだ。
AI が、誰の権限で動いているのか。そこを見えるようにしない限り、業務 AI は統制できない。
参考:Microsoft, "Copilot in Excel: Built for the era of Frontier Finance"(2026/6/25)/ S. Saha, K. Faghih, S. Feizi, "Under the Hood of SKILL.md: Semantic Supply-chain Attacks on AI Agent Skill Registry"(2026/5/12)。なお大規模実証として "Agent Skills in the Wild: An Empirical Study of Security Vulnerabilities at Scale"(2026/1)は、収集した skills の分析で約 4 分の 1 に脆弱性を確認したと報告している。
Aikido Community Japan
公開日: 2026/6/27
最終更新: 2026/6/27
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